自分らしさってなんだろう?
そんなことを考えていた頃の私は、自分らしさは美しく纏うものだと決めつけていた。私の自分らしさは結局何だったのかというと、武器用で、ひねくれていて、人間関係形成が苦手であるということ。
美しく纏うどころか、重たいものを背負うような感じだ。

もう随分前になるけれど
私にも、短いスカートをはいて、足を出して歩くようなことがあった。
それまで不登校で、下を向いて足を引きずるように歩いていたから、少し前を向いて堂々と歩く練習をした。
私はあの時、これから楽しい人生になるぞと思っていた。
沢山の人の中で笑顔の私を想像して、私は多分、若くて可愛かった。

でも、短いスカートを履くことはできても
そのスカートをはいている子らと同じように笑えないことがわかった。
同じことをしても、楽しくない。
同じようにはできない。
そのうち、したいとも感じなくなった。
その方が自分を正当化して立ってられる。

自分の世代がやるようなことを真似てみても、自分が自分に置いていかれる感覚で
胸が張り裂けそうだった。
なぜかいつも思い出すのは不登校時代の私だった。
このまま流れていくことはできないと感じた。

このまま このままどんどん私が死んでいく
でも、そう思うのははじめだけで
悲しいのははじめだけで
流れに流れて生きることに、いつか慣れるのか

***

不幸とは何か
私は、私として生きることを辛いと思うことこそが不幸だと思う
しかし、幸せがまんまその逆とは限らない

そうとは知らずに、どうせなら幸福な顔をして、自分にふりきって生きようと思っていた

なのに、すぐにはそうせず普通の人の真似事をしていた
なぜなら、できれば普通の顔して生きて、普通の幸せを体現しているところを家族に見せたいという気持ちや
普通じゃない人を見下す気持ちがあったから

そんな感じで、普通の流れに乗っているように見えて、やはり溺れていた
そうして三年間が過ぎた頃
本当に今度こそ自分にふりきって生きることになった 生きることにしたのではなく 自然とそうなった

自分らしさは、放っておくと溢れてくる
それを止めることはとても難しい
それが嫌悪されるようなものだとしても

***

自分らしく生きること
そこに片足を突っ込むと、今度は別の問題が発生した
自分らしさ、夢、成功、への道には沢山の陰が付きまとうことを実感した
私の性格や私の年齢がそうさせたのかもしれない
私の自分らしさが、もっと人に受け入れられやすく、見るに美しいものであったならそうはならなかっただろうけど

結果的に
無いようで実はあった身内の期待を裏切ることになって
付き合っていた恋人ともどんどん距離ができて
全てをかけた夢までも、中途半端な形になってきた

生まれたかもしれない命、生まず
もらえたはずの給料、半分
多分もらえただろうボーナス、世間的な立場
ゼロ
今までの人生なんのためにここまで綺麗な道を歩んできたのか
いきたくない学校にゾンビのように体を引きずって行って、高い学費を払い、なんとかクリーンな履歴書が書けるような道を歩んできた
あとは、私さえ少し耐えることが出来れば綺麗な道を進み続けられたはずだった

自分としておもいっきり生きることそのものだけみると、そこは光輝いているのに

沢山の陰に囲まれてみると、
夢も成功も、途端に灰色になる
最高価値から、途端に無価値に思えることもある

自分らしさや夢や成功は、人に受け入れられたり祝福されたりするまで灰色なんだ

自分らしく生きたい気持ちと
期待に応えたい気持ちとの間に立って、私はそこから更に三年、もがいていた

溢れんばかりの苦しみ、悲しみ、申し訳なさ、妥協、期待、不安、過去、未来

それでも何よりも、溢れ続けていた、自分らしさ

それを止めることは、ほぼ不可能だった

そうして
短いスカートをはいたあの日から六年も経った

沢山の期待を置いてきた
この先、私はどんどん世間的な価値観と逆行し、今大切にしている友人とさえ
同じ価値観の中で会話ができなくなる日がくるかもしれない
友達なんて、またできるさ..と、思えるような私だったら苦しむことも無かっただろうけど
おそらくこの先、胸が張り裂けそうになる瞬間が何度も訪れると思う

でも、本当に張り裂けなければ
それでいいじゃないか

受け入れるしかない、しばらくは灰色の自分らしさ

私だけが関わってるんじゃない私の人生だけど
やっぱりそれでも私の人生は私の人生に他ならない